不思議な題名です。
帯に『6年ぶりに放たれる、8作からなる短編小説集』とあります。
読まなくちゃ、と思い先週購入しました。
最近の短編集だと確か「女のいない男たち』だったと思います。
とても、ドキッとするような短編集でした。村上春樹の短編は、ムズムズする作品が多いです(うまく形容できなくてすみません・・・)。
さて、本題に入ります。
国語辞典で調べると(紙の辞典で何年かぶりに字引しました!)
【一人称】とは『話しかけるものの側を第一人称』
【単数】とは『数が一つであること。一つのこと』
という意味です。不思議な題名ですが、印象としては、『自己』とか『孤独』を連想しましたし、読み終えると『自分を見ているもう一人の自分』のようなことが心に残りました。
それぞれの短編の自分なりの簡単な感想というか印象を綴ります。
石のまくらに
『僕』が20歳の頃、バイト先で知り合った女性の一夜の思い出から始まります。
その女性が短歌を作っていて、それを『僕』に郵送で届けます。その短歌は、どことなく死のイメージがすることを『僕』は感じ取ります。彼女と『僕』は、その夜のあと会っていません。
心の闇というか裏側というか、でも、それが本当の自分の姿。そんなことを感じさせる短歌が何首か書かれています。心がえぐられるような短歌です。首という文字が含まれている歌が多かったです。
そういえば短歌の数え方って「一首、二首、三首」って数えます。
たち切るも/たち切られるも/石のまくら
うなじつければ/ほら、塵となる
そして、『僕』は、それらの歌のことを忘れることはできません。
私も、この物語に出てくる短歌がとても強い印象として心に残りました。
クリーム
『ぼく』が18歳のときに経験した奇妙な出来事を、年下の友人に語っている設定です。不思議なピアノ演奏会の招待状、ベンチに腰を掛けている老人との不思議な会話。
この不思議な思い出話を聞いた友人は、その何の意図も原理も見出せない話の着地点が飲み込めないようでした。でも、それが飲み込めていないのは、『ぼく』自身であり読者でもあるのだと思いました。
「中心がいくつもありながら外周を持たない円」を思い浮かべることができるか、と老人に問われます。残念ながら、私も『ぼく』と同じように分かりません。その上、老人はいつの間にかいなくなっています。不思議な話です。
この物語を読んで思い出したエピソードが2つあります。
見ず知らずの人に自分の将来を言われた経験です。
一つは幸せになる予言めいたこと(社会人になってから)、もう一つは真逆のこと(こちらは中学生の頃)。実は、このことが表裏一体だったということが最近理解できました。でも、その時は何のことだか、さっぱり分かりませんでした。
物語に戻ります。
『ぼく』が思っているように、心から人を愛すること、何かに深い憐みを感じること、この世界のあり方についての理想を抱くこと、信仰を見いだしたりすること、それらがその不思議な円を受け入れることにつながるのではないか、というところに共感できました。
老人の語っている言葉の中の『わからんことをわかるようにするとそれは特別なクリーム』になり、それ以外は『しょうもうないつまらんこと』ということに『ぼく』はなんとなく反発しているように感じました。
私は「特別なクリーム」はいらないです「しょうもないつまらんこと」の中から、何かを感じることができればいいと思いました。
全部の感想は、一気にかけそうにないので、少しずつまとめていきます。