降誕祭の夜

汝の敵を愛せよ

「イエスと親鸞」を再読して  〜はじめに〜

5月の連休明け頃からこの本と「鉄道員(ぽっぽや)」を並行して読書していました。

鉄道員」は、8つの短編のうちの3つの物語を読んで、小休止です。

 

「イエス親鸞」は2回目ですが、やはり内容が難しくて、一気に読み進めることができませんでした。

ようやく読み終えたので、記録の残し方を考えてみたのですが、一冊の本をまとめて感想を書くのは苦しいので、章ごとにまとめようと思います。本文から気になる文を引用したり、感想をまとめたりしていきたいと思います。

 

まずは、「はじめに」です。副題として「宗教に懐疑的な現代人のために」とあります。

 浄土真宗の開祖と言われる親鸞とキリスト(救い主)と言われるイエス。一方は日本人であり、他方はユダヤ人である。生まれた場所も違えば、背景となる宗教も全く異なる。しかし、どこか深いところで二人の話は似通っているのではないか。

 この本はそれを確かめるために書かれた本である。

著者の八木氏は哲学の研究をしている方ですが、宗教についての講義を依頼されたときに色々な本を読んでいる中で「聖書」と「歎異抄」を読んだことがきっかけで、興味を持ったことが書かれています。特に衝撃を受けたその内容とは、

エスが「良い事をわたしに聞くな。良い事を知っているのは神だけだ。」ということであれば、イエス本人は「良い事を知らない」ということになる。

歎異抄」のなかで、親鸞はイエスと歩調を合わせるかのように「良いことも悪いこともわたしは知らない」と語っている。

 人々から尊敬を受けている人がもの善し悪しを知らないとか、教えることができないと、平気で語ることが驚きであったとも書かれています。無知の自覚を持っていたソクラテスとも重なり宗教に持っていたイメージが打ち壊されたことなども率直に書かれています。

 

「はじめに」の中では、最初の宗教の講義の時には自分の心の中に引っかかっていたものが何であるかはっきりとわからない状況であったが、次第に探求していくうちに様々なものを発見し、なんと15年近く経過して本に書くことができるようになったとあります。

 

15年も考察して練られた本です。読むのが簡単なわけはないですよね。

 

この本を書くにあたって著者が気をつけたことは、

  1. 教会その他の伝統的権威から離れて、キリスト教についても仏教についても信仰内容を議論する。
  2. しかし議論が主観的でいい加減なものにならないように理論的な背景はできるだけ明確にする。
  3. この本の本質は、仏教とキリスト教の間に見出される共通性を明らかにする試みをすることである。

 

福音書」は大学の時の講義や礼拝などで触れたことがありますが「歎異抄」については、この本を読むまで内容については触れたことがありませんでした。著者はイエス親鸞という二人について考察するにあたって、この二つの作品を拠り所として書き進めること、二人のことを書くことにより二大宗教のいずれにも偏らないスタンスで書き進めることができることも書いてます。

 

ganju39.hatenablog.com

 

以前読んだ時から3年ほど経ちました。

この本に書かれてることをもっと理解することを目標に再読を始めました。 内容は難しいのですが、章立てをしっかりしてありますし、きちんとした背景も書かれています。

前回より時間をかけて読んだので、以前よりは深いところで理解できたかなと思っています。