脚本家の倉本聰さんが、9月18日、多臓器不全のため91歳で亡くなられました。
北海道の雄大な自然の中で暮らす家族を描いたテレビドラマ『北の国から』をはじめ、多くのドラマや舞台の脚本を手がけてこられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
『北の国から』との出会い
私の住んでいる岩手県では、当時『北の国から』をテレビで見ることができませんでした。フジテレビ系列の放送局がなかったからです。ドラマの内容は知らず、さだまさしさんが歌う主題歌だけを耳にしていました。
初めて『北の国から』を見てみようと思ったのは、30代になった頃です。
図書館に行ったとき、脚本集を見つけて手に取ったのがきっかけでした。読んでみると、とても面白い。毎週末のように図書館へ通っては脚本集を借り、ほぼ全部読みました。
読んでいるうちに、実際のドラマも見たくなりました。そこでレンタルビデオ店に通い、見始めたのです。
北海道の雄大な自然の中で繰り広げられる家族の物語に、いつの間にか夢中になっていました。
テレビで見られなかったドラマに、図書館の脚本集を通して出会う。私にとっては、そんな少し変わった作品との出会いでした。
『昨日、悲別で』の記憶
倉本聰さんの作品には、テレビドラマ『昨日、悲別で』もあります。1984年に日本テレビ系列で放送された作品です。
北海道の炭鉱町・悲別から、タップダンサーに憧れて東京へ出てきた青年の青春を描いています。主人公の中込竜一を演じたのは天宮良さん。石田えりさんや五月みどりさんも出演していました。
ストーリーの細かな部分は忘れてしまいましたが、主人公がタップダンスを踊っていたことや、「悲別」という町の名前は、今でも印象に残っています。
そして2012年の夏。東日本大震災の翌年のことです。
盛岡のキャラホール(都南文化会館)で、倉本聰さんが率いる「富良野GROUP」の公演があるという情報を知りました。
演目は『明日、悲別で』。全席自由で、入場は無料でした。復興支援という意味合いもあったようです。
私はチケットを取るためにホールへ電話をし、早速、受け取りに行きました。

『明日、悲別で』が描いたもの
倉本聰さんの公式ホームページに掲載されているあらすじをもとに、作品の内容を紹介します。
舞台は、20年前に閉山した炭鉱の町、北海道の悲別。
2011年の大晦日、かつてこの町で暮らしていた若者たちが、20年前に交わした約束を果たすため、故郷に集まります。それは、炭鉱の第一坑道の地下300メートルに埋められたという「希望」のタイムカプセルを探しに行くことでした。
しかし、20年という歳月は、彼らの人生を大きく変えていました。
福島の原発事故に遭遇し、原発の収束作業に携わる者。故郷にしがみつき、懸命に町おこしに励む者。そして町会議員となり、福島の瓦礫を引き受け、廃坑の地下1,000メートルに埋めようと画策する者。
かつて希望を託したタイムカプセルを探そうとする彼らの前に、原発事故、故郷の衰退、放射性廃棄物の処分をめぐる問題が立ちはだかります。
公式ホームページには、作品を象徴する印象的な言葉があります。
「三百メートルの地下に希望があり、千メートルの地下に今絶望を埋めようとしている悲別。」
20年前に希望を託した若者たちは、今、何を信じ、何を求めるのか。
震災の翌年に上演されたこの作品は、故郷を失うことの意味や、原発事故が人々にもたらしたもの、そして人間が抱える矛盾を問いかける物語でした。
【公式ホームページ:『明日、悲別で』2012】
https://www.kuramotoso.jp/www/kaiwai/kanashibetsu2012.html
目の前で演じられる舞台に圧倒された
ブログを書きながら、当時の舞台のことを思い出しています。
私にとって、舞台を観るという経験は、おそらくこれが初めてだったと思います。
目の前で、役者さんたちが全身全霊で演じている。その姿に圧倒されました。内容も本当に素晴らしく、あっという間に時間が過ぎていきました。
登場人物それぞれの気持ちを想像しながら、さまざまなことを考えました。
1991年の悲別、2011年の悲別。そして、福島の原発事故。
物語の中で描かれる問題は、舞台上だけの出来事ではありません。震災を経験した私たちにとっても、決して遠い話ではありませんでした。
終盤には、夢なのか現実なのか分からなくなるような場面があったと記憶しています。そして、イマジンやアメイジング・グレイスが流れました。
今でも、そのときの舞台の印象が心に残っています。
手元に脚本集があったので、今回、少し読み直してみました。
炭鉱の坑内の場面では、韓国語も使われていたように記憶しています。戦前から戦中にかけて、朝鮮半島出身の人々が炭鉱で働かされていた歴史についても描かれていたのだと思います。

倉本聰さんと握手をした
舞台が終わったあと、私はしばらく、その世界から抜け出せずにいました。終演後も、すぐには立ち上がれなかったほどです。
そして会場を出ると、なんと倉本聰さんご本人が、お見送りのために立っていらっしゃいました。
脚本の販売もされていたので、もちろん購入しました。そして、サインをいただき、握手もしていただきました。
とても凛とした佇まいの方で、独特の存在感がありました。作品から受ける印象そのままの方だと感じたことを覚えています。
あのとき、実際にお会いできたことは、今となっては本当に貴重な思い出です。
倉本さんの作品には、文明に対する危機感や、現代社会への批判が込められているものもあります。
しかし、そこにあるのは、批判や絶望だけではありません。
困難な状況の中でも、何とか生きていこうとする人々の姿があります。人と人とのつながりや、失われかけたものを取り戻そうとする思い。そして、その先にある未来への希望も描かれているように思います。
だからこそ、私は倉本さんの作品に惹かれるのかもしれません。
悲別をめぐる三つの作品
今回、脚本集を読み直したり、公式ホームページを調べたりする中で、悲別をめぐる作品についても、改めて興味が湧いてきました。
『昨日、悲別で』
『今日、悲別で』
『明日、悲別で』
「昨日」「今日」「明日」と、時間の流れを表す言葉が並んでいます。
『昨日、悲別で』はテレビドラマとして記憶に残っている作品です。『今日、悲別で』にはラジオドラマとして放送された記録があり、舞台作品としても紹介されています。そして、私が2012年に盛岡で観たのが『明日、悲別で』です。
テレビ、ラジオ、舞台。それぞれの形で描かれてきた悲別の物語。
こうして振り返ると、同じ町の名前を通して、時代や人々の生き方、故郷への思いが描かれてきたことに興味を覚えます。
もちろん、作品ごとに描かれている物語は異なります。それでも、「悲別」という架空の町が、倉本聰さんの作品を振り返るうえで、私にとって気になる存在になりました。
もう一度、悲別の物語を読みたい
今年中に、購入した脚本をもう一度読み、昔のドラマについても調べてみるつもりです。
若い頃に読んだときと、今とでは、作品から受け取るものも違うかもしれません。
『北の国から』の脚本集に出会ったこと。盛岡で『明日、悲別で』を観たこと。そして、倉本聰さんご本人から脚本を購入し、サインと握手をしていただいたこと。
今回の訃報をきっかけに、忘れかけていた思い出が次々によみがえってきました。
倉本聰さんの作品には、時代を超えて考えさせられるものがあります。
素晴らしい作品をありがとうございました。
倉本聰さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。

今回は、当時の思い出を振り返りながら、ChatGPTにも手伝ってもらって記事にまとめました。