降誕祭の夜

汝の敵を愛せよ

盛岡への旅 8月15日〜16日パート2

次は、桜山神社に行きました!

盛岡にいる時に車のお祓いをお願いした神社でした。おかげで、以前乗っていた車は12年間で21万キロ走りました。小さな事故や故障等はありましたが、命を守っていただきました。南部藩と関わりのある神社であったと記憶憶しています。

南部家の家紋だったような気がします。

可愛らしい石像もありました!

続いて、三石神社へ行きました。

大過ぎます!

【岩手】の県名の起源になったといれる石と鬼の手形があるということでしたが、ここも初めて訪れました。手形はどこかにあるか分わかりませんでしたが、なぜここにこんんな大きな石が3つもあるのかと考えると非常に興味深いです。

確かに巨大な石が3つあります!三ツ石神社

『鬼が持って来たのでは?』と思えるような不自然な場所にあります。

 

動物公園は多分30年ぶりくらいかもしれません。               ZOOMOになってから初めて行きました。入り口の表示を見る人間も地球上に生息している生き物の一つであることを実感します。

ワクワクしながら入口に向かいます!
鳥もたくさんいました!

ライオンだ〜

サイ、大きかったです!

キリンの背の高さ5mありました!

見学していたら、雨が降って来ました。飼育小屋の中にいたアフリカゾウの大きさにもびっくりしました。全部見切れませんでしたが、とても楽しかったです。
以前、訪れた時もかなり歩いた記憶がありましたので、疲れるかなぁ、と思っていましたが、とても楽しめました。しっかり整備されていて、大人も十分楽しめる施設になっていました。

 

夜は、新しくできた『monaka』を通り、桜山神社の近くの飲み屋さんで美味しい沖縄料理をいただきました。

泡盛で、乾杯!盛岡の夏楽しみました。

盛岡への旅 8月15日〜16日パート1

お盆は、娘と孫、息子のほかに親戚も来るので、15日から盛岡へのプチ旅行を計画しました。不思議なもので、盛岡には25年は住んでいたはずなのに今回も新しい発見があったので振り返ります。

 

啄木記念公園

啄木記念館に行ったら、改築工事のため休館でした。残念。歌碑のある公園があったはずなので、向かいました。

鶴飼橋です。北上川の幅がまだ狭いです。

宿泊先は、盛岡市内にしていましたので、啄木に縁のある施設!ありました〜!!

もりおか啄木・賢治青春館(旧第九十銀行本店本館)

割とすぐ近くに住んでいて、この建物の前も何回も歩いたり走ったりしていたのですが、初めて中に入りました。

趣のある建物です。マークも素敵です!
展示もとても充実していました。無料です!

二人が過ごした時の盛岡の様子と彼らの生い立ちについても詳しく知ることができました。啄木は26歳で賢治は37歳で亡くなります。『青春館』。彼らが真っさらの時に過ごした盛岡です。素敵なネーミングだと思います。

それから、啄木が愛した『ふるさとの山』は岩手山とばかり思っていましたが【姫神山】ということも展示を見て知りました。何歳になっても新しい学びがあると嬉しいです。

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さて、宮沢賢治の作品はかなり読んできたのですが、石川啄木の作品は、国語の時に学んだくらいです。学生時代に図書館で古代ローマ史を調べて、そこの学生しか入れない蔵書がある部屋で古い文献を探しているときに、たまたま、彼のローマ字日記を手にしました。少しだけ読んだのですが、内容があまりにも強烈で途中でやめました。それ以来、啄木のことを避けていました。今なら『ローマ字日記』も読めそうな気がします。彼の短歌の世界との違いにショックを受けたのだと思います。

ということで売店で『一握の砂』を購入しました。これを読んだら、『悲しき玩具』も読んでみたいです。

そのあとは、以前行ったことのある『北田屋』でお昼にしました。今回は【大冷やしたぬきそば】です。この日も暑かったですからね。

 

腹ごしらえをしたあとは、神社巡りです!

盛岡八幡宮

秋祭りに行くことが多かったので夏詣は新鮮でした!
こんなに大きな狛犬は初めです!以前は全く気づかなかった〜!
夏詣。風鈴の音が涼しげでした!

参道の向こうにはお城があり、岩手山が見える場所です!

2016年。8年前の夏も暑かったのですが、震えながらこの街を彷徨っていたことが嘘のように盛岡を満喫しています。

でも、その時のことがあったからこその【今】なのだと思いながら、次の目的地に向かいました。感謝。

四国への旅 5日目 (8月3日) パート4

5日目 愛媛→兵庫→岩手

飛行機の旅は、慣れていないこともありますので、空港へは今回も早めに行きました。松山空港に着いたら、とても可愛いキャラクターやお土産も蜜柑色で欲しくなりましたが、我慢がまん。

蛇口からみかんジュースはすごい発想です!
階段にも素敵な言葉がありました!

大切な人達を思い浮かべながら階段を上がりました。  

松山空港から伊丹空港までは、プロペラ機です。きっと高度があまり高くできないからなのだと思いました。伊丹空港から花巻空港までは、いつものようにジェット機でした。

今年は、年に2回も飛行機での旅をしました。北上市の市街地が夕焼けに染まっているのを空から見たときは、旅が終わったことと、大切な人たちが住んでいる故郷に帰ってきたことなど、いろんな気持ちが込み上げてきました。

ありがたいです。

4泊5日の四国旅行は、忘れられない旅行になりました。

四国への旅 5日目 (8月3日) パート3

5日目 愛媛→兵庫→岩手

坂の上の雲ミュージアム

今回の旅行、最後の見学先になります。

司馬遼太郎の作品を初めて読んだのは、高校生の時です。『項羽と劉邦』です。

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その後、大学生の時も社会人になってからも時折、彼の小説は読んでいました。ほぼ、読んだと思っています。

さて、『坂の上の雲』は、松山に生まれた秋山兄弟と正岡子規との交流を軸に描かれていく小説になります。今回の旅行で松山に行くことがわかった時に、必ず行こうと思っていた場所でした。

チケットを購入し見学を始めたら、なんと安藤忠雄さん建築の建物でした。

遠野では木造建築の図書館を見学しました。

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展示の仕方も独特です。丁寧に読みながら順路を進みます。

残念ながら、展示物の撮影は禁止のものがほとんどでした。幕末、松山藩佐幕派だったため、明治維新後は大変だったようです。秋山兄弟の家系図や手紙、日露戦争について、正岡子規の生い立ちや俳句のことなどが散りばめられています。一番心に残ったのがこの小説の主人公の秋山兄弟や正岡子規が、学問で身を立てるために一生懸命勉学に励んだことです。明治時代の志のある若者が全国各地にいたことのスライドや幕末の松山藩のこと、日露戦争の時の捕虜収容所でもあったことなども興味深く見学しました。

空中階段!すごい発想です!!

新聞に掲載された『坂の上の雲』のスクラップブックと壁の掲示

展示の最後の出口には『坂の上の雲』のあとがきの一部が展示されていました

〜要するにロシアは自らに負けたところが多く、日本はその優れた計画性と敵軍のそのような事情のために際どい勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であろう。

 戦後の日本は、この冷厳な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうとはしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的な強さを信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境としてとして日本時の国民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。やがて、国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争からわずか40年のちのことである。敗戦が国民に理性を与え、勝利が国民を狂気にするとすれば、長い民族の歴史から見れば、戦争の勝敗などというものはまことに不思議なものである〜

最後の展示が【あとがき】のこの部分を抜粋しているということから、たくさんのことを思いました。

売店でのお土産は自分へのものを買いました。

建物の中から素敵な洋館が見えました。

萬翠荘と愛松亭

見学するには微妙な時間になっていましたので、外から写真を撮るだけにしました。

夏目漱石の最初の下宿先とのことです。

人力車も年季が入っています!

余裕を持って、空港行きのバス停に向かいました。

四国への旅 お土産編

せっかくなのでお土産のこともまとめます。

いつもは、旅行であまりお土産を買わないのですがが、今回はいろんな方のことを思い浮かべながらお土産を買っていました。

鳴門公園

1 息子へ(渦潮Tシャツ)

自分用にも欲しいくらいのバックプリント!

2 娘と孫(ちいかわキーホルダーと阿波踊りハンカチ)

二人とも喜んでました〜

桂浜

1 職場とお世話になっている取引先へ(土佐英雄伝)

お取り寄せ四国ソラウミネットより引用

小分けになっていて個数も結構入っていて助かります・・・・

2 親戚&我が家へ(塩もちと桂浜もち)

高知は塩も有名なそうです。売れ筋は【桂浜もち】とのことです。

3 コーヒー好きの知人へ(四万十コーヒー)

四万十炭で焙煎

4 妹夫婦と自分用(酔鯨

山内容堂に因んだネーミングでしょうか。すっきりした飲み口でした。

屋島山上と栗林公園

1 猫好きの知人へ(にゃんこうどん手ぬぐい

2 猫好きの知人の猫ちゃんへ(お守り)

可愛すぎます!

金毘羅宮

1 自宅用(加美代飴)

今年は、還暦なので厄払いのお祓いをしたこともあり、お守りやお札などは購入の予定はなかったのですが、入り口の鳥居にいる売り子の方に味見を勧められて購入しました。昔からのお土産のようです。レトロなパッケージです。由緒もあり、売れ筋のお土産のようです。あまり甘くなくて美味しかったので購入しました。

小さな金槌で割って食べます。

善通寺

1 母へ(千枚通)

母に頼まれていて購入したものです。20代の頃から実家にあったことと四国のお寺のものだということは覚えていました。その地に直接行って買う宿命だったのかもしれません。母は、今回私が買った護符を仏壇に大切に置いていました。

4個買ったので4000枚か〜

坂の上の雲ミュージアム

1 自分用(本、マグネット、絵葉書)

本が買えてよかったです。

本には司馬遼太郎直筆の原稿が印刷されていました。

葉書の短歌は秋山真之が7〜8歳の頃に描いたものです。やんちゃだね〜

マグネットは記念です・・・・。

 

懐具合と相談しながらの買い物でしたが、楽しく選ぶことができました。

四国への旅 5日目 (8月3日) パート2

5日目 愛媛→兵庫→岩手

道後温泉

市電で行けることと思ったより近かったのでこの日の見学先の1番目にしました。

入浴しようかどうか迷いながら向かいました。

趣のある駅舎と坊ちゃん列車です
坊ちゃん時計と夏目漱石の碑、そして、正岡子規

坂の上の雲』の主人公の一人でもある正岡子規の像もありました。

彼は野球を愛して熱中しました。

温泉に入るかは到着するまで迷っていましたが、せっかくなので入ることにしました。いろんなパターンで入れるようでしが、この後の予定もあったので入浴料700円、レンタルタオル50円の一番お手頃なパターンで入りました。

朝風呂だ〜最高です!!

湯船が思った以上に深くて座ると顔半分がお湯に埋まる感じでした。

上がった後は、近くを散策して駅に戻りました

足湯に座ると道後温泉の建物しっかり見ることができます。
湯神社なんて、まるで『千と千尋の神隠し』の世界です。

正岡子規が愛し、夏目漱石の小説にも描かれた道後温泉も素敵な場所でした。

市電で、大街道に戻り、次の見学先に向かいました。

松山城

市電に乗り、大街道駅まで戻ります。お店もたくさんあり松山市の中心です。

大街道駅を降りてから少し歩きます。朝、少しだけ走った所でしたがゆっくり歩くとまたいろんな発見があります。

砥部焼の風鈴、 【坊ちゃん]の銅像。趣のある歩道を進みます!

松山城は、高い山の上なので途中までロープウェイでとのことでした。

行ってみたらリフトもあったので、リフトに乗りました。正解でした。見晴らしがよかったです。リフトの下には素敵な【ことば】が散りばめらていました。

見事な石垣です

天守閣かっこいいです!

天守閣からの絶景です!

松江城もでしたが、中の階段の勾配はとても急でした。火縄銃や日本刀の重さを実感できるコーナーや甲冑を身につけるコーナーなどもありました。日本刀は重かったです。この重さのものを武士は腰に身につけ、戦場で戦ったのかと思うとゾクっとしました。

ロープウェイ駅の展示コーナより

市民に愛されているお城だということが伝わってきます。

リフトを降り、今回の旅行最後の見学先である『坂の上の雲ミュージアム』を目指し歩きます。

四国への旅 5日目 (8月3日) パート1

5日目 愛媛→兵庫→岩手

4泊5日の四国への旅の最終日です。

この日のランニングは、松山城の近くを走ろうと思ってスタートしました。

今までのどこよりも朝、走っている方が多かったです。きっと街の中心にお城があり、公園も整備されているからだと思いました。

松山城を見上げながら走りました。

坂の上の雲』の主人公の秋山兄弟です。

坂の上の雲』については、いつかまとめたいと思っています。彼ら兄弟は、学問で身を起こそうと上京します。その中で、兄は陸軍、弟は海軍で活躍します。この二人の日露戦争で果たした役割を大きかったことを小説を読み始めて知りました。しかし、司馬遼太郎はこの小説を戦後日本人への警鐘として書いたようです。

愛媛県庁本館の建物は歴史を感じました

松山市は俳句の街でもあるようです。

鯛めしは炊き込みご飯を選びました!

走り終わった後は、シャワーを浴び朝食にしました。『鯛めし』も美味しかったですが、『鯛カツっぺサンド』も美味しかったです。

 

さて、旅行の最終日は土曜日なので、観光地は混みそうです。7時過ぎには宿を後にし、市電に乗り道後温泉を目指しました。