降誕祭の夜

汝の敵を愛せよ

異邦人を再読して

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高校生の時の読んだ時と全く違った印象を持ちました。主人公ムルソーの一見投げやりなところや物事や人に対しての無関心なところとそうでないところが描かれていました。

常識では考えられないような行動には共感できませんでしたが、彼の日常は比較的穏やかで、普通の生活を送っています。

 

粗筋については以前書いた通りなので省略。

 

死刑を宣告された彼のもとに司祭が来て、彼の魂を救おうと一生懸命問いかけるのですが、その言葉を受け止めず、最後に司祭に対して怒鳴るところが、この物語の大きなクライマックスではないでしょうか。

 

ムルソーが司祭に語っているその言葉は約2ページに渡りますがその一部に高校生の私は鉛筆で線を引いていました。余程、衝撃を受けたのだと思います。

 

私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来るべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない。しかし、少なくとも、この真理が私を捕らえていると同じだけ、私はこの真理をしっかり捕らえている。私はかつて正しかったし、今もなお正しい。いつも、私は正しいのだ。

 

自分の正当さを証明されるあの夜明け

 

死刑が執行される直前に、彼は何を思っていたのか計り知れませんが、ここに、この小説の大きなテーマが凝縮されていることを再読してより強く感じました。

 

解説にあるカミュ自身が書いた文章の中より抜粋

・・・母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮らす社会では、異邦人として扱われるよりほかはないということである。ムルソーはなぜ演技をしなかったか、それは、彼が嘘をつくことを拒否したからだ。・・・・

 

小説の中には、ムルソーの通常の論理的な一貫性が失われている行動や思考、言葉がたくさん出てきます。彼の存在に対して周囲の人間がとる様々な言動からも、カミュは何かを伝えたかったのだと思います。

サルトルがこの作品を、

不条理に関し、不条理に抗して作られた、古典的な作品であり、秩序の作品

と評していると解説にも書かれていました。とても難しいです。

でも、多分、年齢を重ねた分、この物語を高校生の時より深いところで感じることができたと思っています。