降誕祭の夜

汝の敵を愛せよ

「イエスと親鸞」を再読して  第二章 ユダヤ教の伝承(十戒) 

ここまで、この本に関わってきたので、時間がかかってもなんとか最後までまとめたいです。

第二章の後半は「モーセ十戒」についてです。

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映画は見たことがあるようなないような、おぼろげな記憶です。このブルーレイのジャケットは、多分、出エジプトの場面かな?

2「十戒の教え」とは何か

十戒の教えに入る前にユダヤ民族のことが描かれています。

ユダヤ民族

創世記の後、旧約聖書に書かれているのは、ユダヤ民族特有の歴史であること、現代のヨーロッパがギリシャ文明を引き継いだインド・ヨーロッパ語族(アーリア民族)を主体としているのに対して、ユダヤ民族はセム語族という異なる民族集団に属している。この民族は、セム語族が築いたメソポタミア文明の申し子である。その意味では最古の文明に影響下に歴史を刻みはじめた民族なのである。

 メソポタミア文明との関係とアブラハムという族長が一族を連れてメソポタミア文明のウルという都市から飛び出したことからユダヤの歴史が始まリます。

神との契約の思想

ユダヤの族長は、これ以後、民族のリーダーとして、また預言者として、遠い未来に続く遠い希望を持ちながら荒地の中で民族を率います。その意識の中には「神との契約」という概念があったこと、それは、神を崇敬することの代償として、神が民族を守り住む土地を約束するという意味だと言うことです。

このことが、ユダヤ教の持つ集団性だということが説明されています。

 

具体的な例として、ユダヤ教では、生まれて直ぐに男子は割礼を受けさせらることを挙げています。強制であり個人の自由はないと意味の象徴のように書かれていいます。

このような強制的なことはキリスト教では薄まるのですが、ユダヤ教の精神性はキリスト教にも伝わり、そのことがキリスト教個人主義的でなく、集団的性格を持つことにつながっていると説明されています。

欧米の民主主義社会は個人主義の社会であると日本人は認識していますが、意外と強い共同性が認めらるとの説明もあります。

 

著者はこの集団性を「自己愛の変形」と位置付けていますユダヤ社会は民族の存続を「神」の名のものとに他から差別化してきたと述べています。そして、そのことは残念ながら神の霊を呼び込むことができないことになります。なぜなら、自己愛が神の霊との交信を妨げることになるからです。

 そして、そのユダヤ民族の長い歴史のなかで、真の預言者が何名か現れます。その一人がモーセです。

預言者モーセ

ユダヤ民族は現在のイスラエルあたりで生活していたようでしたが、ひどい干ばつのため生き残るために一部がエジプトに入ります。モーセはそう言った環境で生まれましたが、彼は捨て子でした。しかし、エジプト人の裕福な家庭に引き取られ育ちます。その後、割礼から自分がユダヤ人であることを知ったらしいです。それから、彼は家を出て、ユダヤの女性と結婚して羊飼いとなります(出エジプト記)より推察されるとあります。

 

モーセエジプト文明の伝承に触れていたことだけでなく、ユダヤ民族にとってエジプトは第2の故郷でもあり、ずっとのちのイエスの時代にエジプトからの影響で「復活の思想」が広がったことも説明されています。

 

モーセ預言者として誕生し神の霊と話すことができるようになったのは、どちらかというと排他的なユダヤ的閉鎖性の中でなく、エジプトの人々の間で育ったことも大きな要因であると著者は捉えています。

 

彼はユダヤ社会に復帰し、祖先の伝統を学び、そしてエジプト王と交渉をしエジプトを出ます。「出エジプト」です。

十戒について

モーセが神から得た十戒についての説明です。著者は、十戒の要は6つと捉えてています。その意味も詳しく説明されていますが、省略します。

律がもっている「〜してはならない」という部分は、古い英訳が「you shall not」という言葉で置き換えていることから「あなたは〜しないだろう」と言う意味で捉えています。

 

そして、その十戒の前提となるのは「神の霊を分け持っていれば」「あなたが神の目から自分の身を隠さず、神の言葉に耳を傾けていれば」であるということになります。

モーセが受け取った完全な形の戒律を

「あなたがわたし(神)の前に立っているのなら、あなたは、わたしのほかに神を立てないだろう」

「あなたがわたし(神)の前に立っているのなら、あなたは、いかなる像も作らないだろう」

「あなたがわたし(神)の前に立っているのなら、あなたは、むやみに主の名を唱えないだろう」

「あなたがわたし(神)の前に立っているのなら、あなたは殺さないだろう」

「あなたがわたし(神)の前に立っているのなら、あなたは姦淫しないだろう」

「あなたがわたし(神)の前に立っているのなら、あなたは盗まないだろう」

とまとめています。今まで、戒律という言葉から「十戒」も禁止されるべきものが書かれたと思っていました。

 

しかし、モーセの戒律において大切なのは、殺してしまうことが問題になる前に、神の前に立って神の霊を受けていないことが問題にされているということを知りました。

 

一般社会がもつ戒律ないし法律は禁止規定があり、そして罰則があります。

しかし、十戒で神が人間に言っているのは「天の国に帰ってきなさい。そうしないとあなたは罪を犯すことになる」と言う忠告だと説明されています。

 

同じような説明が何度か本の中で繰り返されるのは、イエスの教えを理解する上で大切な前提になるところからなのだと思います。

 

この章の最後は、ユダヤ社会の言う神「熱情の神」とイエスの言う神「愛の神」は全く正反対であるため、イエスユダヤ教会の告発により処刑されたことに矛盾はないと締めくくられています。