降誕祭の夜

汝の敵を愛せよ

坊ちゃん  夏目漱石

夏目漱石の小説は、一冊も読んだことがないです。15年以上前にKindleなどの電子版が流行った時期に『こころ』をダウンロードしてスマホで読んでいました。読みやすかったのですが、トーンが暗くて、その頃プライペートでいろんなことが重なったこともあり辛くなり読むのをやめてました。

 

昨年、四国旅行で松山を訪れた時に『夏目漱石』のゆかりの地であることと、ちょうど『坊ちゃん』の舞台でもあることも思い出したので、帰ってきてから、本を買って、昨年の暮れくらいに読み終わりました。

 

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若い中学教師の物語なこと、マドンナ、なんて登場人物も出でくるので、恋愛の要素も絡めた物語だと思って読み進めましたが、『マドンナ』の登場の仕方は想像とは全く違ったものでした

坊っちゃん(新潮文庫)

本の裏表紙より

子どものころから無鉄砲で直情型の“坊ちゃん”。数学教師として着任した中学で手の焼ける生徒たち、臆病で無気力な同僚、ろくでもない教頭との葛藤を繰り返す。正義感に突き動かされ、反撥を重ねた末に・・・・。

Amazonの紹介文

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。歯切れのよい文章のリズム、思わずニヤリのユーモア、そして爽快感。マドンナ、赤シャツ、山嵐…、登場人物もヒト癖、フタ癖。自身の体験をもとに描く、漱石初期の代表作。

坊ちゃんの無鉄砲さは、ある意味爽快な所もあり、読みながら「いくらなんでも坊ちゃん、やりすぎだよ〜!」と突っ込んでました。

昔のテレビドラマの『俺は男だ』とか学園ものの原点を感じるケンカのシーンや上司を懲らしめる場面、同僚や生徒を庇う場面などもありました。

何よりも、旅行でも訪れた明るく開放的な松山の景色のことを思い出せたのも楽しかったです。

この小説が、なぜ『坊ちゃん』というのかは最後まで読んで分かりました。東京を離れる前に主人公のことを大切に思って世話をしてくれたお手伝いの『清』との交流が最後まで、ところどころに描かれ、ラストでは、ほろりとさせられました。

 

注釈や解説、夏目漱石の年譜も充実しています。

今、読んでいる本を読み終わったら、途中で読むのをやめた『こころ』を読んでみようと思います。

角館〜田沢湖へ 10月25日〜26日

紅葉をねらって秋田旅行を計画していました。

残念ながらちょっと早かったようです。

数十年ぶりの角館と田沢湖です。

岩手も秋田も熊による被害がものすごいので念の為、熊鈴はショルダーバックにつけていきました。

角館までは結構距離はあるので、のんびり道の駅にも寄りながら角館を目指しました。日本酒と稲庭うどん購入!!

天気は良くてドライブ日和でした。計画していてよかったです。

 

お昼頃に角館に到着しました。思った以上に賑わっていて、感覚的には外国の方が多いような気がしました。人力車もあり、風情も感じました。

高校の時に訪れた時も黒い塀が印象的だったことは覚えています!
趣があります

展示物からも武家屋敷を感じました!

武家屋敷』ということで過度な装飾はないのですが、凛とした空気を感じました。

祠や神棚、蔵!

お腹が空いたので、お昼へ!!

洒落た内装でしたが、稲庭うどんのお店です!
私は、とろろ昆布の方をいただきました!

母に頼まれていた樺細工の茶筒や生もろこしを買って、田沢湖へ、向かいます。

田沢湖行って、辰子姫の像を見ようと思いましたが、ここも思った以上に人がいて、駐車場も満車でしたので、諦めてぐるっと回って、ドライブしながら湖畔を回りました。

売店あったので、自分への絵葉書と孫には、ちいかわのキーホルダーのお土産を購入しました。

風も出てききて少しずつ寒くなってきました。

今度は、晴れた日に訪れたいです!

田沢湖見学も終わり、盛岡を目指します。途中、お世話になっているストーブ屋さんにより、着火剤を購入し盛岡の宿を目指します。

夜は、行きつけの沖縄料理のお店で美味しい料理を堪能しました。いつもは泡盛なのですが、今回は、日本酒のおすすめが美味しそうでしたのでそちらを楽しみました。

風の森!美味しかった!!

久しぶりの一泊旅行でした。

二日目はゆっくり起きて、温かい気持ちで帰路につきました。

 

いわて盛岡シティマラソン2025

10月19日(日)『いわて盛岡シティマラソン』で走ってきました。

いい天気!風があり寒かった!!

この大会は、3度目の挑戦になります。

朝、4時半に起きて足裏のテーピンングや荷物を準備し、朝食を済ませて5時半頃に盛岡を目指して出発しました。

40歳からフルマラソンに挑戦して50歳で自己ベストを出した後、仕事・台風・コロナ等の影響で56歳までフルマラソンを走れなくて、57歳の時と59歳(昨年)に『いわて盛岡シティマラソン』に出場しました。どちらも、完走こそはしましたが、57歳の時は35キロ越えたあたりで両足が攣るというアクシデントがあり、昨年も35キロ付近の坂にすっかり参ってしまい、ラスト7キロは大幅なペースダウンで、ワースト記録となりました。

 

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一昨年、大きな怪我をしてからは、あまり追い込んだ練習をしてこなかったせいもあります。ただ、再雇用とはいえ今年度もフルタイムで現役並みに働いているので、練習メニューを見直しました。具体的には週に2回は心肺に負荷をかけたポイント練習することと、自宅から近い岩手県内の大会にできるだけ参加して、ジョギングペースでない速さに慣れるように努めました。

 

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前回は、自己申告のタイムを正直に書いてかなり、後方からのスタートで、最初の1キロが8分以上かかりペースに乗り切れずストレスでした。だから、今回は一つ前のブロックからスタートしました。近くを見ると4時間のペースランナーの方が2名いましたが、サブフォーのペース(1キロ5分40秒)だと今の自分の脚力では最後まで走りきれないので、3キロぐらいまでは一緒でしたが、そこから無理をせず、大体1キロ5分45秒から5分55秒のくらいのペースで折り返しまで走り、その後は、リラックスしてレースを楽しむプランで走りました。

35キロ過ぎてからの足の状態も心配でしたので...。

20年近く住んでいた街なので、本当に今回もいろんな事を思いながら走りましたが、今回は意外と走ることに集中している自分がいました。折り返してからは足は、少しずつ重たくなってきていましたが、呼吸はまだ苦しくなくて、思った通りのペースで走れました。

32.9キロ地点。たくさんの補給食が並んでいるエイドの手前で、那須川瑞穂さん(奥州市出身の中・長距離・マラソン選手)がランナーに声をかけていたのでハイタッチをして、その後『清次郎の塩むすび(形はお寿司のシャリ)』『巖手屋のチョコ南部』をつまみ、『タルトタタンの濃厚チョコレートまんじゅう』を食べながらラスト上りのきつい35キロ地点へと向かいました。

今までだと、35キロ過ぎるとガクンと足が動かなくなることが多く大幅に失速するのですが、20キロ過ぎのトイレタイム、最後のエイド、35キロ過ぎからのきつい上り坂ではキロ7分台にはなりましたが、今回の後半は、ほぼ6分台をキープして最後まで走れました。

37キロ過ぎたあたりで、なんとなく4時間半きれそうな感触でしたので、最後まで集中して走り切ることができました。

ゴールの時計を見て4時間半切った事を確信したのでバンザイをしてゴールしました。

昨年より24分速くなりました。これで、今年度のマラソン大会への出場は終了です!!

使い勝手の良いタオル
南部鉄器のメダルと盛岡の地ビール

40歳(2005年)初マラソン 記録4時間39分(弘前・白神アップルマラソン

50歳(2015年)自己ベスト 記録4時間  2分(いわて北上マラソン大会)   

60歳(2025年)還暦の記録 記録4時間25分(いわて盛岡シティマラソン)  

切れ目ない沿道の応援。ボランティアスタッフの皆さんの温かい声がけ、さんさ踊り吹奏楽の演奏やバンカラ応援などなど、たくさんの方の応援が最後まで支えになりました。

来年も健康でこの大会で完走したいです!

盛岡大好きです!!

 

彼岸に高田へ

9月20日(土)

天気予報は岩手県内は一日中雨でよくなかったのですが、家族と陸前高田に行きました。

特に母は、以前から【奇跡の一本松】を見たがっていたので、とても楽しみにしていました。

道中、ずっと小雨模様でしたが、陸前高田に入ったあたから薄日が差してきました。

高田松原津波復興祈念公園に到着したら雨はすっかり上がっていました。ここから一本松まではそんなに遠くはないのですが、母は足があまり良くないので、車椅子を借りようとしましたが、残念ながら外では使えないとのことでしたので、杖をついている母に寄り添いながら、みんなでゆっくりと海に向かって歩いて行きました。

 

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階段を上り切った後に広がる海を見て信心深い母は感無量だったようで、献花台の前で念仏をあげていました。道中、陸前高田は亡くなった父と震災の前年に訪れた思い出の場所であること、震災後は我が家がお世話になっているお寺の住職さん(先代)が供養に訪れていたことなど話をしていました。

そのあとは、海を左手に見ながら防潮堤の上を歩いて一本松を目指しました。

近くで見るとかなり大きいです!

以前来た時は、早足で歩いて見たので、母のペースで歩くとものの見え方が変わるのが新鮮でした。海や空の景色の流れ方が全く違います。

一本松のところにやなせたかしさんの絵もありましたし、震災遺構のユースホステルもありました。

やなせたかしさんのお人柄が伝わってきます。

津波の破壊力の凄まじさが伝わってきます。

 

お昼は、せっかくなので、海鮮丼を頼みました。母は、天ぷら蕎麦を注文していました。病院の送迎や買い物以外に母と一緒に歩いたことは本当に何年振りでしたので、とても喜んでいました。

良心的なお値段でボリュームもあり大満足!

お彼岸なのでお供え用と来客用のお菓子、自分へのお土産に日本酒と地ビールを買いました。

高田の地酒、一週間後にいただきました!!

買い物の後は、大島に向かいました。車に乗って割とすぐに大粒の雨が降ってきましたので、そのあとは車からは降りずに大島をゆっくりドライブして帰路につきました。

 

また、家族みんなでドライブしたいです。

 

ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団 牛田智大(ピアノ)   2025.9.7(日) さくらホール

このコンサートのことを知った時に「絶対行かなきゃ」と思い、チケット発売日の5月24日(土)の発売時刻に、さくらホールに行ったら『ごめんなさい。窓口では直接購入できるのは午後からなんです。この時間に購入するのならネット予約か電話で・・・』と言われ頭が真っ白になりました。私と同じように勘違いをして窓口にいらしていた方が数名いました。

慌てて電話をして、チケットを予約しました。そのまま窓口に行って支払いも済ませました。今年はショパンコンクールの年でもあり、牛田智大さんのピアノでしかもワルシャワフィルでショパンピアノ協奏曲第1番を聞けるなんてもう、これからの人生の中であるかないかのことなので奮発してS席を購入しました。多分ピアノを弾いているところも見えるだろうと思う席を選びました。もう1曲がブラームス交響曲第1番というのものチケット購入の決め手になりました。

 

ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調op.11

ショパンコンクールのファイナルでは1番の方がよく演奏されるようです。初めて聴いた時は、オーケストラの序奏が結構長くて、「ピアノいつ入るのかな?」と思った記憶があります。とても華やか曲です。

オーケストラの演奏も穏やかで、牛田さんのピアノの音色は本当に優しくてオーケストラと牛田さんのピアノが一体となっている感覚でした。

人間の指があんなにも鍵盤を目まぐるしく動くのに全く狂いもなく、しかも情感たっぷりに聴かせるなんて本当にすごいです。

 

ブラームス交響曲第1番ハ短調作品68

レコードやCDは持っていませんが、この曲は全楽章、若い時からちょくちょく聴いててどの楽章も有名なフレーズは大体、分かっていたのでとても楽しみにしていました。

第一楽章の出だしが、思ったより重々しい雰囲気ではなく、意外とあっさり入ったので、拍子抜けしました。そこからは「この曲の1番の山場は、どこに来るのかな?」とワクワクしなが聴いていました。

オーケストラの編成は協奏曲よりも大きくなりましたが、穏やかな第二楽章もパッと視界が開けたようになる第三楽章も一楽章よりもさらに音量的には抑制されていて、緻密に何かを作り上げているような丁寧な演奏だと感じながら聴いていました。

 

そして、第四楽章です。ここに向かって、これまでの楽章を作り上げてきたことがわかりました。圧巻でした。

 

アンコールは、ハンガリー舞曲第6番です。定番ですね。とてもノリノリで演奏していて、楽しそうでした。みんな音楽が大好きなんだなぁと見ている私も嬉しくなりました。

さて、ピアノの先生(昨年の11月より盛岡の教室をやめ北上の教室に変更しました)がレッスンの時に、牛田さんのピアノの音色のことやブラームスの1番の第一楽章の出だしについては私と同じような感想を持っていた事をお話ししたので、私の独りよがりな感想でなくてホッとしました。こういったお話ができる方がいるというのもありがたいことです。

 

芸術の秋到来です。

さて、さくらホールでは秋から冬にかけて『北上サロン音楽会2025-2026 』を開催するようですので、演奏会の前にチケットを購入しました!

街とその不確かな壁  村上 春樹

『カフネ』を購入した時に「あ、村上春樹の新刊もある!」ということで。とりあえず上巻を購入しました。

『カフネ』を読み終えてから読み始めました。読み始めて、二つの世界を行ったり来たりする展開、どちらが本当の世界なのか考えて読み進めていく感覚はもう、15年くらい前に読んだ『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を思い出しながら読み進めました。

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金色の獣等や石造りの街並・・・・。

上巻は大きなストーリーの展開はないのですが、丁寧に読んでいかないと物語の終わりに向けての伏線がたくさん張り巡らさせているので、じっくり読みました。

 

著者は1980年に中編小説「街と、その不確かな壁」、1985年に壮大な長編小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)を発表した。幻想世界の〝街〟とスリリングな冒険活劇が並行して描かれ、この長編は世界中の読者を魅了した。村上春樹の〝街〟とは何か――『街とその不確かな壁』は、40年の歳月を経て、著者がその〝街〟に立ち戻り、新たに三部構成で描かれた長編小説である。文庫版は、上下二冊で刊行。         Amazonより〜

1980年の中編小説としてのこの本は読んだ記憶がないので、著者の「あとがき」を読んんで納得しました。回り回って、書き上げた作品だということが。

十七歳と十六歳の夏の夕暮れ、きみは川べりに腰を下ろし、〝街〟 について語り出す――それが物語の始まりだった。高い壁と望楼に囲まれた遥か遠くの謎めいた街。そこに“本当のきみ”がいるという。<古い夢>が並ぶ図書館、石造りの三つの橋、針のない時計台、金雀児(えにしだ)の葉、角笛と金色の獣たち。だが、その街では人々は影を持たない……村上春樹が封印してきた「物語」の扉が、いま開かれる。

         〜上巻の帯より〜

彼の小説は、学生時代の恋愛が通底にある場合が多いです。今回の小説もそのパターンでした。壁のこちら側で文学をきっかけに知り合った【きみ】と【ぼく】。とてもいい雰囲気で二人の交際が描かれていきます。しかし、これから恋愛が進展しそうな時に隣町に住んでいた【きみ】は急に【ぼく】の前から姿を消します。二人で作り上げた不思議な物語を残して・・・・。

そして壁の向こう側の世界では【きみ】と【ぼく】は違った形で出会います。古い夢が並ぶ図書館。針のない時計台。高い壁に取り囲まれた世界には影がありません。その世界は、二人が作り上げた不思議な世界そのものでした。そのような感じで物語が進むので「ん?今どっちの世界だっけ?」と時折ページを戻って確認しがなら読み進めていきました。上巻は物語の展開が読めないので、ドキドキしながら読み進めました。

今までの村上春樹の作品と違い性的な表現は、抑えられている印象です。

それにしても、人生の中でお互いに最高の理解者であると思い、いろんなことを熱心に語り合うことができた【きみ】と出会えなくなった【ぼく】の喪失感が痛いほど伝わってくる描写でした。

 

喪失感を抱えた彼は、45歳の時に【穴】にストンと落ちてしまいます。彼女と作った物語の世界へと、影のない世界へと行きます。彼女と作った物語の世界の流れが再び1部の後半に描かれます。村上春樹のこの辺りの物語の繋ぎ方は本当にすごいなぁと思います。

さて、彼がこのまま影のない世界に残るか影と共に元の世界に戻るかの葛藤の場面は読み応えがありました。人間、誰しも自分に問いかけてどちらが正しいのか判断に迷う場面はありますからね。

元の世界に戻ったのは、【影】だったようなのですが・・・・。

 

上巻の後半から2部になります。元の世界に戻った主人公が、今いる仕事を辞めて新天地での生活が始まります。仕事先は図書館です。

図書館の奥まった半地下の館長室で、薪ストーブの火を見つめながら子易(こやす)老人は「私」に語りかける。「ここはなにより、失われた心を受け入れる特別な場所でなくてはならない」、と。そんなある日、「私」の前に不思議な少年があらわれる。「イエロー・サブマリン」の絵のついた緑色のヨット・パーカを着て、図書館のあらゆる本を読み尽くす高校生の少年だった。「その街に行かなくてはならない」――少年は自ら描いた〝街〟の地図を携え、「私」に問いかける。そして舞台は第二部の〝町〟から第三部の〝街〟へ。幻想と現世を往還する物語が、ふたたび動き出す……。

                     〜下巻の帯より〜
*なお巻末には、この作品の成立をめぐり、著者による「あとがき」が付されている。

2部では、福島県会津若松の近くのZ※※町の図書館が舞台になります。元館長の子易さん、司書の添田さん、そしてヨットパーカーの少年。ブルーベリー・マフィンとコーヒーが美味しい『コーヒーショップ』という女店主との出会い。

彼が【何かと何かがつながっている】と感じ始め、物語が大きく動く動きます。

印象に残っているのは、図書館で元館長の子易さんと物語の進行に関わる重要な話をする場面です。その中の一つに子易さんが高校生の時に大切な彼女を失ってしまった彼に向かって「そう、あなたは人生のもっとも初期の段階において、あなたにとって最良の相手に巡り会われたのです。」という言葉が印象に残っています。最良の相手にいつ出会うかは、本当に人それぞれなのだと思います。

穏やかで心優しい子易さんとの彼の会話を軸に物語は最終段階へと進みます。

 

3部では、色々な謎が解き明かされていきます。

コーヒーショップの女店主がガブリエル・ガルシア=マルケスの『コレラの時 代の愛』の「亡霊」のことを彼に紹介する場面も印象的でした。この本も読んでみたくなりました。

死者との対話や魂といった抽象的なことが物語の大切な場面に挿入されていますが、考えてみれば、誰でも意識的あるいは無意識に死者との対話はしているのではないでしょうか。

さて、村上春樹の小説は、ハッピーエンドかバッドエンドか読者に委ねる終わり方をする作品が多いと記憶しています。

わたしは、この物語の最後はハッピーな方に解釈して読み終えました。

〜『あとがき】より〜

要するに、真実というのはひとつの定まった静止の中にではなく、不断のの移行=移動する相の中にある。それが物語というものの真髄ではあるまいか。僕はそのように考えているのだが。

『あとがき』にこの物語に込めた作者の思いが書かれています。『コロナ・ウィルス』が猛威を振い始めた2020年の3月に書き始め3年近くかけて完成させたそうです。作品に何らかの影響があったかもしれないといったことも書かれています。『高い壁』の描写が生々しかったですから。圧倒的な『壁』の存在を感じました。

 

自分の思いではなく、何かに導かれて生きていることを実感している自分にとっては、とても心の奥に響く物語でした。

 

カフネ  阿部暁子

2025年本屋大賞受賞の本です。そして岩手県出身の作家。キャッチフレーズの『「おいしい」と泣くことから再生は始まる。』も印象的でずっと読んでみたいと思っていました。そして、先月、購入しました。

なかなか忙しくて読めていなかったのですが、8月、男鹿から帰ってきた頃に読み始め、3日間くらいで読み終えました。

カフネ

野々宮薫子は急死した弟の意思に従い、彼の元恋人・小野寺せつなと会うことになる。無愛想なせつなに憤る薫子だったが、その場で倒れた薫子にかけられたのは「食事はちゃんと摂れていますか」という想像もしなかった言葉だった。
実は離婚をきっかけに荒んだ生活を送っていた薫子。せつなに振る舞われた久しぶりの温かな料理に身体がほぐれていく。そんな薫子にせつなはは家事代行サービス会社『カフネ』の仕事を手伝わないかと提案するのだった。

食べることは生きること。二人の「家事代行」が出会う人びとの暮らしを整え、そして心を救っていく  本の帯より引用

 

弟の急死で主人公の薫子はせつなと出会うとになります。そして、読み進めていくと薫子の抱えている個人的問題の悩みも少しずつ明らかにされます。なかなか子供が授からないこと、そのことによるプレッシャーや流産。そして離婚。それらのことが重なり、彼女は自暴自棄になっていきます。そんな中でせつなと出会います。

美味しい料理を作ってもらい、その中で自分自身を取り戻していく薫子の心境の変化はわかるような気がします。

私も、10年ほど前ですが、先が見えない暗闇の中で、残念ながら私に料理を作ってくれるような人は現れませんでしたが、自分で作った料理を食べて「生きていれば腹は減るし、ご飯食べればうまいと思うんだよな。」と思いながら涙を流したことが度々あったので、その辺りの描写はものすごく共感できました。

せつなの料理のシーンがものすごく緻密に描かれていて、いろんな料理の匂いや味、色を思い浮かべて心から「食べてみたい」と思いました。

 

「家事代行」を頼む家庭は様々な問題を抱えています。せつなは料理、薫子は家の片付けを徹底的にこなします。その中で、薫子の家庭の抱えている問題や弟が急死したことなどの謎が明らかになっていきます。また、せつなが抱ええている問題も終盤になると明らかにされていきます。

表面的には、どこかヒステリックで思い込みが激しい薫子、ぶっきらぼうで愛想が全くないせつなで共感できないところもありました。しかし二人が「家事代行」という業務の中でバディを組み、「家事代行」で訪れた様々な家庭の人々に思いやりの心を持ち接していくところは、読んでいて気持ちが良かったです。

私は、男ですが、薫子の離婚した夫や亡くなった弟の生き方は、どちらもあまりにも聖人君子的で、感情を表す場面がないところが残念でしたが、物語の主軸が薫子とせつなの交流であれば仕方がないのかなと思いました。何より現代の日本社会が抱えている暗部を描いているところやそこにいる人々が前向きに進めるようになっていく描写でしたので、安心して読み進めることができました。

せつなに助けてもらった薫子が最後はせつなを助けるための行動をします。その行動が良いか悪いか私には判断ができませんが、この物語の中の薫子ならそうせざるを得ないのだろうなと思います。

 

終盤、いろんな要素を詰め込み過ぎてしまったきらいはありますが、著者の「カフネ」という題名に込めた、

【『カフネ』はポルトガル語で「愛する人の髪にそっと指を通す仕草」】という温かいメッセージはしっかり感じることができました。