降誕祭の夜

汝の敵を愛せよ

一人称単数  パート3 村上春樹 著

10年以上前にいた職場で、何人かの方と村上春樹の小説のことが話題になったことがあります。

 

一人は男性で二人は女性です。皆さん読書好きでしたので、仕事の合間や飲み会などで村上春樹の小説について話題になったことがあります。

「何を伝えたいか分からなくて、ちょっと苦手・・・・。」という方。

村上春樹の小説って【大人ファンタジー】って感じ!」という方。

「俺、ほぼ読破したよ」という方。

 人の受け止め方って様々だと感じましたが、読書について語ることができる職場でしたので、今から考えるとよい職場環境だったかなと思います。

 

その頃の私は、偶然読んだ『ノルウェーの森』を皮切りに『村上春樹全集』を図書館から借りて、順番に片っ端から読んでいる頃でした。初期の短編集を読み終え、『羊をめぐる冒険』を読み始め、ちょうど『1Q84』が新刊で出た頃です。

 

さて、パート3です。

 

ヤクルト・スワローズ詩集

 

「僕」は野球が好きで、実際に球場に足を運ぶことが好きだという書き出しで始まります。

『僕』の生まれは関西なので、元々は阪神タイガースのファンで甲子園にも足繁く通います。

 

しかし、大学の進学とともに東京に出たことをきっかけに「サンケイ・アトムズ(スワローズの前身)」のファンになります。住んでいる場所から近かったという理由で。

どうやら、著者本人のことのような書き方で物語は進みます。

 

弱くても負けも、ずっと応援し続けたこと。

1978年のリーグ優勝と日本シリーズ制覇のこと。

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野球を題材にした詩を書き留めていたこと。その詩集を自費出版したこと。

父親が亡くなった時の夜のこと。

神宮球場が一番好きなこと。

そして、黒ビールを飲みながら野球を観戦することが好きなこと。

 

一番心に残った場面は父親が亡くなった時の葬儀の後のところです。

『僕』にとって野球を通しての父親との大切な思い出が語られています。

悲しみや大切な思い出の描き方が心を打ちます。

 

自分のことを振り返るとヤクルトが優勝した時、私はまだ幼かったです。

残念ながら私は、野球は好きではないです。でも、父親が好きなので、小学生くらいの時は、テレビで野球の試合は見ていたのでルールは分かります。

 

ヤクルトスワローズ詩集』を読むと、本当に著者は野球をそして、スワローズを愛しているんだなぁと感じました。

 

謝肉祭(Carnaval)

【彼女は、これまで僕が知り合った中でもっとも醜い女性だった・・・・】という書き出しで始まります。あえて『醜い』という言葉を使う理由も書かれています。ドキッとしながら読み進めていきました。

 

その後も容姿について具体的な描写を絡めながら物語は進んでいきます。

 

『僕』は彼女とたまたまあるコンサートで出会います。「【なんて醜い女性だろう】って、酷いよなぁ。」と思いながら読み進めていくのですが、話し上手で、感じもよく、話題が多い彼女と、『僕』はクラシック音楽のことを通じて次第に親しくなっていきます。友達として。

 

ピアノ独奏曲について作曲家のことが、特徴的に書かれていきます。

モーツァルト、ベートーベン、ショパン、ラベル、ドビュッシーブラームス

 

そして、二人が究極のピアノ音楽として選んだのは、シューベルトのいくつかのピアノソナタシューマンのピアノ音楽です。そして、その中から究極の一曲を選ぶことになり、その曲が、この物語の題名である『謝肉祭(Carnibval)』です。その、二人が意気投合する時『僕』の心の描写や彼女の仕草や言葉が印象的です。

 

シューマン : 謝肉祭&クライスレリアーナ

シューマン : 謝肉祭&クライスレリアーナ

 

二人は、その曲を中心にしてシューマンの『謝肉祭』を聴きまくります。CD、レコード、演奏会。そして、有名なピアニストがあまりこの曲を弾いていないエピソードやシューマンの作品のその当時の評価なども書かれているので、とても参考になります。

私がシューマンについて知っていることといえば、晩年は精神的に病んでいたことやピアノの練習のしすぎで指を痛めたこと(指を鍛える器具を使ったとかどうかいう話です。何で読んだかは忘れました・・)、そして妻がピアノの名手クララ、ということぐらいです。

 

二人に言わせるとシューマンは、

『梅毒と分裂症と悪霊たちのせいで幸せにはなれなかった。でも、素晴らしい音楽を残した』と。カルナヴァル(謝肉祭)でかぶる仮面に絡めて、彼女の語るシューマンの印象や曲の解釈がかなり強烈です。

 それを聞いて『僕』は、彼女は本当は「醜い仮面と美しい素顔ー美しい仮面と醜い素顔」ということをいたかったのでないかと考えます。

この辺りが、この物語で一番伝えたいことかなと思いながら読み進めていきました

 「私たちは誰しも、多かれ少なかれ仮面をかぶって生きている。」という彼女のかぶっていた仮面は実はものすごい仮面であったことが、後でわかります。

 

さらに、ずっと遡って彼の大学時代のある女の子のデートの思い出が描かれます。ここでも「あまり容姿がパッとしない女の子」とあります。

女性についての容姿を繰り返して著者が書く意図はなんなんだろうと思いました。

 

きっと、読み手になんらかの強烈な印象を残すためでしょうか。

なんとなくですが、『謝肉祭』を聴きながら、または、その音楽に触発されて書かれた物語のような気もします。

 

謝肉祭は組曲でとても長いので、週末にでもじっくり聴きます。