降誕祭の夜

汝の敵を愛せよ

別れの予感  テレサ・テン

久しぶりにブログに戻ってきました。

 

年度末、年度始めの業務が忙しかったことと、家族の入退院等もあり、

日々、全力投球でした。

 

数日前の夜、ほっと一息していたときにYoutubeを見ていた時に、

ふとレコードの置いている棚を見たら、テレサ・テンのレコードがありました。

私のではないですよ。両親のものです。

 

何気なく聴いてみたらなんだか懐かしくて。

歌詞の情景は今の時勢には合わないのかもしれませんが、

若い頃、同僚の女の子とカラオケに行った時に

彼女が歌っていたこの歌を思い出しました。

 

テレサ・テンいいです。

この頃よく聴いています。なんでだろう?

 


www.youtube.com

YOASOBI - 優しい彗星 / THE FIRST TAKE

今日は、朝から静かに雨が降っていました。

雨の中ジョギングしながら、最近よく聴いているこの曲が

いつの間にか頭の中を巡っていました。

 

優しく暖かい歌声です。


YOASOBI - 優しい彗星 / THE FIRST TAKE

ヴォーカルの声が魅力的です。

しっかり歌詞の情景を捉えていますし、

何かを伝えようと一生懸命なことも伝わってきます。

自分の表現したい『音』を持っているんですよね。

 

ベルリンフィルの演奏も好きです。音色がとても深いです。

この曲の原曲はピアノなのですが、オーケストラバージョンに

編曲された、この曲のよさをカラヤンベルリンフィル

暖かく、繊細に表現しています。


ラヴェル - 亡き王女のためのパヴァーヌ カラヤン ベルリンフィル 1985

美しすぎて涙が出そうです。

ピアノでいつか挑戦したい曲の一つです。

 

フジコ・ヘミングのピアノの音色も好きです。

このカンパネラの演奏は心に響きます。高音の煌めき、

すごく難しい曲なのにしっとりとした演奏。

語るようなテンポの揺らぎ、左手が奏でる深い低音も素敵です。


Ingrid Fujiko Hemming - La Campanella

いつか挑戦してみた曲ですが・・・。

 

表現したい音があって、それを表現するためにに必要なことは、

自分の奏でる音にしっかり向き合うことが大切で、

それは自己満足ということではなく、誰かに何かを

伝えようということなのだと思います。

 

新しい曲を覚えるのに精一杯の私ですが、少しでもいい音が出せるように

曲に向かい合いたいなぁ、なんて思った雨の日の1日でした。

 

推し、燃ゆ  宇佐美りん 著 

芥川賞受賞作

三島由紀夫賞最年少受賞の21歳・・・

ピンクの装丁

 

いつか、読みたいなと思っていて、先月購入した本です。

推し、燃ゆ

本の帯より

第164回芥川賞受賞作】

「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい」

朝日、読売、毎日、共同通信週刊文春
ダ・ヴィンチ「プラチナ本」他、各紙誌激賞! !

三島由紀夫賞最年少受賞の21歳、第二作にして
第164回芥川賞受賞作

◎未来の考古学者に見つけてほしい
時代を見事に活写した傑作
――朝井リョウ

◎うわべでも理屈でもない命のようなものが、
言葉として表現されている力量に圧倒された
――島本理生

◎すごかった。ほんとに。
――高橋源一郎

◎一番新しくて古典的な、青春の物語
――尾崎真理子

ドストエフスキーが20代半ばで書いた
初期作品のハチャメチャさとも重なり合う。
――亀山郁夫

◎今を生きるすべての人にとって歪(いびつ)で、でも切実な自尊心の保ち方、を描いた物語
――町田康

◎すべての推す人たちにとっての救いの書であると同時に、絶望の書でもある本作を、わたしは強く強く推す。
――豊崎由美

逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ。アイドル上野真幸を“解釈“することに心血を注ぐあかり。ある日突然、推しが炎上し——。デビュー作『かか』は第56回文藝賞及び第33回三島賞を受賞(三島賞は史上最年少受賞)。21歳、圧巻の第二作。

 

主人公の女子高生がアイドルの追っかけをして、そこに自分の人生の全てを

注ぎ込んでいる姿がこれでもかというくらい描かれていること、

SNSの描写もネットの世界をリアルに表現していると思いました。

 

アイドルを【推す】彼女のリアルな姿が、ものすごいエネルギーで

描かれていて圧倒されます。彼女にとってアイドルを【推す】ことが

全てあることが強く印象として残りました。

 

そして、読み進めると、主人公の女の子はどうやら『発達障害』を

抱えていることも描かれています。それに対する家族の姿・・・・。

 

読み終えて、色々と考えさせられました。

 

 

 

読み終えてから本の帯を見たのですが、

◎すべての推す人たちにとっての救いの書であると同時に、絶望の書でもある本作を、わたしは強く強く推す。
――豊崎由美

が、私の読み終えた感想に近いです。

 

でも、この女の子が救われるような世の中になるといいな、とも思いました。

 

 

Official髭男dism - I LOVE..

とてもポップで、気持ちが明るくなる曲です。

ヴォーカルの方がピアノを弾きながら歌っているところもいいです。

 

Official髭男dismは『コンフィデンスマンJP』の

主題歌も手がけていました。

映画もビデオで見ましたが、痛快でした。

映画のこともいつかブログで書きたいです。

 

さて、このグループの曲を昨年から、ちょくちょく

耳にするようになっていましたが、今週は、岩手もだいぶ寒さが緩み

雪解けも進んできたので、

通勤途中、特に朝は、彼らのプレイリストをかけて出勤しています。

 

爽快です。どの曲を聴いてもポップでかっこいいです。

 


Official髭男dism - I LOVE...[Official Video]

個人的な感想ですが、【原田真二】ぽいなぁと思っています。

古いですけど。

彼の音楽も底抜けに明るいです。


Time Travel (Budokan'78 ver.) / 原田真二

 

世の中、暗いニュースが多いので、明るい曲を聴いて前向きに毎日を過ごそうと思います。

 

今週も、がんばった自分にご褒美です!

 

東日本大震災から10年(2011年3月25~3月27日の記録)

田老第一小学校でのボランティア活動のまとめ

あれから10年経ったのかというのが正直な気持ちです。

3日間のボランティア活動について

まとめていたものを紹介します。


 

 1 出発から到着まで  

25日朝,28名のボランティアに募集したメンバーと盛岡を出発しました。国道106号線は,自衛隊の災害支援の車がかなり走っていました。宮古まで,道路が崩れているところもなく予定通り2時間ほどで宮古市につきました。 

 

「ここから先は,天国と地獄くらい風景が変わります。」と担当の方から説明を受け,それぞれの避難所へと分かれました。一つの避難所に2名から4名応援に行きました。私が行ったのは,田老第一小学校です。担当の方の運転で,市街地を通りどんどん海の方へ進んでいくと,家の前に出され畳,たくさんの家財道具,堤防をこえて横倒しになった漁船,国道に打ち上げられた船。2階まで浸水した市役所,ぐちゃぐちゃになった家屋,魚市場。目の当たりにすると声も出ません。被害が大きかった鍬ヶ崎という集落は,家が土手に向かい何軒も押しつぶされている様子が見えました。 

 

三陸海岸を北上していくと、しばらく山道やトンネルが続き,30分ほどで田老地区が見えてきました。辺り一面、がれきの山です。堤防の内側にある家は,跡形もないです。形をとどめている家は,高台の方にしか見えません。家の形があればまだいい方で,そこに家があったのかどうか、分からないような場所が殆どでした。国道の瓦礫の中を通りながら担当の方が「津波の後,田老地区の国道45号線は道路もがれきで覆われ,通行不能だったけど,自衛隊の方々が片付けてくれて,通れるようになったし,瓦礫もずいぶん片付いた。」と話していました。

 

2 主な活動

避難所の学校に到着しました。最初に活動をしていた方々から引き継ぎをしました。電気も水道も復旧し,食料も灯油も十分にあり,思ったより快適に活動ができたという話でした。仕事内容は,避難所に届けられる物資の仕分け・整頓,自衛隊の方々が持ってくる炊き出しの運搬,体育館のストーブに灯油を入れることなど,が主な仕事で,その合間は,避難所にいる就学前の子や小学校低学年の小さい子どもたち5,6人の遊び相手になっていました(朝から夜まで・・・体力勝負でした!)。

 

その中で思いっきり甘えてくる女の子がいて、一日中、おんぶや抱っこをしていました。その子は、津波で壊れた家で寒さに震えながら家族と一晩過ごしたことをおんぶしているときに話してくれました。

 

避難所へは,ありとあらゆる物資が届けられていて,生活する上で物がなくて困ることはないようでした。水道は,まだ完全に復旧していなくて,洗いものは屋外にある水道でしていました。お湯は,まだ使えません。トイレは,仮設トイレか,体育館にある汲取のトイレでした。テレビは,27日に設置され見られるようになりました。それまで外部からの情報は,地域の防災無線による放送とラジオからだけだったそうです。

 

3 避難所での生活

避難所の学校の先生の話によると,最初の2日は物がなくて大変だったということでした。地震の後、保護者の方に連絡をしようにもできなくて,150名の子ども達と学校で一晩過ごしたそうです。寒さをしのぐために学校中のカーテンを外したこと,子ども達と保護者の方の涙の再会の話など、本当に大変な時間を過ごしてきたことが分かりました。

 

救援物資は,震災後の3日目ぐらいから入り始めたということでした。避難所に生活している方々は,年配の方も多いことと,それぞれ,顔見知りが多いために,協力し合いながら生活ができているようでした。炊き出しの配膳,清掃,洗い物などは,分担して手際よく進められていました。お風呂は,市内にある入浴施設に行く日が決まっていて,バスで交代で行っていました。わたしも,引率をかねて行くことができました。入浴施設の社長さんが,「被災者の方が無料で入れる日を延長します。」とお話してくださいました。そういった細かいことの連絡・連携が市職員の方々の中で上手くできているなと感じました。

 

職員の方の中にも,津波で被害にあわれた方もいらっしゃいました。物資は,自衛隊の方が持ってくる物資(私がいたときは主に衣類)の他に,宮古市に届けられる救援物資(主に食料・生活用品等)を分けたものが避難所に毎日届けられます。その他にも,企業が直接持ってくるものなどを,市の職員の方が計画的に分配の仕方を考えていました。 

 

4 被災された方から聞いたお話

あるおばあさんの話ですが,

 

「逃げながら後ろをみたら堤防を津波が越えてきた。波が家々を飲み込み屋根が流れて迫って来るのが見えた。自分の集落の方をみたら,火事になっていた。だから,必死で山を越えて線路を通ってこの避難所まで逃げてきた。

 夫は,病気で入院施設に入っていたため,無事だった。生きていてよかったのか,死んだ方がよかったのかよく分からない。少しずつ電化製品も揃えてきたのに何もかもない。年金で生活しているのに新しい家を建てるお金もない。病気で足が痛いのに必死だったから痛みも忘れて夢中で逃げた。」

 

といった話をしてくださいました。

 

私と一緒にボランティアで入ったもう1人の方は,保育所から避難する子どもたちと、同じく避難してきた中学生が途中で一緒になり,幼い子どもたちを中学生がだっこやおんぶをして必死で逃げた話や,あるおばあさんからは昭和三陸津波の話を聞かされたそうです。

 

避難所になった小学校の廊下の掲示などを見ると,津波に対する意識はかなり高いことが感じられましたが,地震があって慌てて学校に子どもを迎えにきて連れて帰った保護者の方もいて,その中には家に戻って津波に巻き込まれた子どもいたそうです。大人の方の中に,やはり津波への油断があったかもしれないという話をされた方もいて「まさか、そこまでくるとは!」というところが正直な気持ちだったようです。 

 

5 ボランティアを終えて

市の職員の方の話だと自衛隊の方々は震災3日後には,もう目に見える活動をしていたそうです。ニュースなどで見る情報以上に宮古方面には自衛隊は,はやく派遣され活動していました。そして,炊き出しも22日頃から、田老第一小には届けられたそうです。

 宮古市田老町の壊滅的な被害の情報がが,きちんと伝わり行政や自衛隊が動いていたようです。到着した日に担当の方がお話しされたように,たくさんの重機やトラックを使い町の瓦礫の撤去作業も進んでいました。

でも,避難所にいると痛ましい風景だけでなく,人々の悲しみも伝わってきました。

 

ボランティアの最終日に,宮古市内の小学校は,4月25日が始業式,26日が入学式と決まったということを聞いてボランティアを終えました。

 

3月11日で、とまったままになった職員室の出席黒板や体育館に山積みになった救援物資、安否情報の貼り紙など、強烈な体験となり、ここに書いたこと以外にも今でもその3日間のボランティア活動のことは記憶にしっかりと焼き付けられています。あまりの被害で写真は撮れませんでした。

 

 

 

文字ばかりで、長文になってしまいました。

被災地の方にとっては、とても辛い10年間だったっと思います。

 

今回は、その時の自分の気持ちを掘り起こすために、記録していたものを若干整理してアップしました。

 

 

 

十一番目の志士  司馬遼太郎 著

司馬遼太郎の作品は、高校の時に出会い、

大学生の頃から、30代にかけて殆ど読みました。

 

彼の作品は、戦国時代のものと幕末の物が多いような気がします。

 

幕末ものでは『燃えよ剣』『新撰組血風録』『竜馬がゆく

花神』『世に棲む日々』『幕末』

翔ぶが如く』(これは西南戦争までいきますが・・)を読んでいます。

混沌とした幕末の出来事や思想、人物像を、彼の作品を読むことにより、

自分の中で理解をしていきました。

 

さて、この本の舞台も幕末です。

最初は【天堂晋助】は実在の人物?って感じで読んでいました。

司馬遼太郎の描く【天堂晋助】の生き生きとした描写で、

あっという間に読み終えた記憶があります。

 

新装版 十一番目の志士 (上) (文春文庫)

上巻裏表紙より

長州藩の下層の出ではあったが、天堂晋助の剣の天稟は尋常なものではなかった。ふとしたことから彼を知った藩の過激派の首魁高杉晋作は、晋助を恐るべき刺客に仕立てあげる。京で大坂でそして江戸で忽然と現われ、影のように消え去る幻の殺人者のあとには、常におびただしい血が残された……剣の光芒が錯綜する幕末の狂宴。 型破りの剣客の魅力ほとばしる長篇!

 

新装版 十一番目の志士 (下) (文春文庫)

下巻裏表紙より

幕末の情勢は大きな曲がり角にさしかかった。中央から締め出され、藩領に閉じ込められた長州藩では、勤王党の高杉晋作がクーデターに成功。そして慶応2年、ひそかに薩摩藩と手をにぎり、藩を挙げて幕府との決戦に肚を固める。その緊迫した状況の下で、刺客晋助の剣は獲物を狙って冷酷にふるわれ続けた——。解説・奈良本辰也

 

裏表紙を読むと、かなり血生臭いのですが、

読後感は、主人公の生き方が痛快で颯爽としていた印象で

暗い感じはなかったような気がします。

 

【天堂晋助】が、架空の人物とは思えないようにしっかりと歴史上の出来事や

人物と絡めながら物語は進みます。

でも あらすじは、すっかり忘れてしまいました。

久しぶりに手に取ってみたら再読したくなりました。

 

でも、先週末、久しぶりに本を2冊買ったのでいつになるかなぁ。

 

ホリーズ The Hollies/バス・ストップ Bus Stop (1966年)

2月の中旬からずっと忙しくて

ようやく今日も終わりました。

今朝も早起きをして10キロジョギングをしました。

ジョギングの途中、白鳥がそろそろ北へ帰るのでしょうか、

青空の下を気持ち良さそうに、たくさんの群れが飛んでいました。

 

 

アスファルトもようやく見えてきて、ペースも少しずつ上がります。

今日は、久しぶりに汗が噴き出ました。

走り終わる頃、少し降っていた雨も上がり、青空には虹がかかっていました。

2月中旬からずっと仕事もプライペートもいろんなことが重なり

神経がすり減っていたので、心が和みました。

 

その後、月に1回の義務(と思うのは嫌なので、自分の中では祈りの場)を責任を持って果たし、その後、ピアノのレッスンへ行きました。

今日は、バラードの後半を見ていただきました。少しずつですが、

音も取れてきているので、楽しくなってきています。

 

もう少しで、ピアノを再開して5年目に入ります。

多分、今まで一番長くピアノが続くことになりそうです。

 

レッスンの後は、溜まっていた仕事を片付けるために

久しぶりに休日出勤をしました。やれやれ。

 

話は変わって、今日のドライブのBGMで

古いロックが入ったアルバムを見つけ、本当に久しぶりに聴きました。

1曲目がローリングストーンズの【サティスファクション】です。

それも、もちろんカッコいいのですが、

 

今日紹介するのは、 

 

ホリーズ の【バス・ストップ】 です。

 

初めて聞いたのは学生の頃、本城美沙子の【夏は誰も愛さない】

でした。多分、その頃、ヘヴィメタが好きでしたので、

友達にレコードを借りて聴いたのがこの曲との出会いです。

 

かっこいい曲だなぁ、と思って解説を読んだらオリジナルではなくて、

カバー曲であることを知りました。


本城未沙子・・・・夏は誰も愛さな


ホリーズ The Hollies/バス・ストップ Bus Stop (1966年)

 

原曲を聴いたのは、それから随分してからです。

どちらもそれぞれ雰囲気があり、

どちらも好きです。

 

おやすみ前なら原曲のほうかな。

 

明日も良い1日になりますように。